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 about iwasekeigo





広島県黒瀬町出身
1978年8月29日生まれ
B型 (2003年に初めて知る)
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音楽を志し上京
少年フレンド結成後、19(ジューク)として1998年プロデビューする
2002年3月 19(ジューク)の活動を終了する
2002年10月23日「岩瀬敬吾」としてソロデビュー、よりROCKな音楽活動を開始

                                                                                                           
                                                                                                                   

:

岩瀬敬吾の足跡
                                  
2度目のデビューをする。
2002年10月23日デビューシングル「くり返すは口ぐせと罪悪感」
2002年11月 6日ファーストアルバム「Porky Pie」
2002年9月には、デビューを前に全国3ヶ所でショーケースライブが行われ、
半年振りにファンの前に元気な姿を!

2002年11月15日の川崎を皮切りに「岩瀬敬吾tour 2002 〜Fucken Deadly Buzz Man〜」ツアーが
全国16ヶ所でスタート。
追加公演として2003年1月5日SHIBUYA-AXにてツアーファイナルライブが行われる。

精力的にライブ活動を続け現在に至る。

     
当時19(ジューク)終了後の活動について
「バンドじゃないが、そんな形でやっていきたい」と雑誌に語っている。
「どんな形で活動をするにせよ、見られるのは俺。だったらソロで活動して行きたい」とも。
バンドじゃないがそんな形・・とは、「岩瀬敬吾tour 2002 〜Fucken Deadly Buzz Man〜」ツアーに
参加した人なら敬吾のやりたいカタチを実感したことだろう。

実力者・すご腕のバンドメンバーを迎え回を重ねるごとにツアーが育っていった。
川崎で演奏する側・ファンともに手探り状態だったと言われる「岩瀬敬吾とサポートメンバー」
はもうそこにはいない。

ソロデビュー後、バンドメンバーの方々も一新し、新たな音作りも見せてくれるが
デビュー当初にご一緒した方々とのつながりもライブ、イベントへと受け継がれている。
 (バンドメンバーのみなさんについては、liveのページ)

     

                                                                                                                         
                                                   

 

足跡のあしあと

 1度目のデビュー。
音楽の道を志し上京。
音楽専門学校に通いながら、まだ上京していない健治(岡平健治)と音楽について語り合っていた。
お互い曲ができるとPHSを媒体に離れた場所で聴かせ合っていた。

健治の上京後、路上やライブハウスなどで少年フレンドの名で音楽活動をする中で
彼らの音に心を動かされたのが当時イラストライターとして頭角を現していた326(ミツル)だった。
自分の詩の世界をメロディに乗せてくれるミュージシャンを探していた326と敬吾・健治の3人で
コラボレートしたのが19(ジューク)。


1998年11月21日「あの青をこえて」で19(ジューク)はデビューする。
3人の目指す「ことば」を大切にする「ネオフォーク」は2ndシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で中・高生を中心に大ブレイクする。

326の独特の詩の世界と相まって多くの若者の心をとらえ、
また、なつかしいけどどこか新しいネオフォークの世界に様々な世代の聴き手を惹きつけた。

それだけに、青春のカリスマ的なイメージもあり、
「果てのない道」の製作に326が不参加だったことについても多くの波紋を呼んだ。



「あの青をこえて」「あの紙ヒコーキ くもり空わって」についてはPVも326の手による。
19(ジューク)サイドからは326が脱退した、ような公式コメントは出ていない。
しばらくの間、326がメンバーなのかどうかがファンの間で話題になった。
ファンクラブ会報によると、岩瀬敬吾のコメントとして、
「自分たちも詞を書いてその才能をもっと伸ばしたいし、お互いに刺激しあって行きたい」
とある。



1999年の学園祭ツアーを皮切りに2000年、2001年と全国ツアー活動やシングル・アルバムの
発売を続け、安定した人気の中、2002年2月、突然の19(ジューク)の活動中止が伝えられる。

「よりお互いを伸ばすために、もっと大きい歩みを別々に続けることにしました」
というものだった。


ファンの中には、3作目のアルバム「up to you」でふたりの音楽性の違いに戸惑い、
解散を予感する者もいた。





2002年3月31日をもって約3年半の19(ジューク)としての音楽活動を終了する。
解散ライブなどは一切なく、
最後のシングル「蒲公英/いつもどおりのまま」を発売し、
レギュラーラジオ終了の中でのお別れだけだった。 
    



その後の活動に多くのファンが期待したが、敬吾はソロとして「岩瀬敬吾」の名で音楽活動
をあらたにスタートさせることを発表する。
ファンにとっては待ち遠しく不安もあった半年間だったが、デビュー決定後の活動は急加速で進んだ。






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